凸と凹「登録先の志」No.24:藤井宥貴子さん(一般社団法人ウィメンズ・フォーラムくまもと 代表理事)


子育てに悩むのは特別な人ではない!


自分の性格は一言でいうとお世話好き。幼児教育を専攻した短大時代も、学業とともにボランティア活動に明け暮れ、当時もひとり親家庭を支援していました。短大を卒業後は幼稚園に勤務し、4年で退職。結婚、出産はうれしい限りだと思っていたら、出産した途端に育児ノイローゼになってしまいました。育児に悩んで、いろいろな人に助けてもらわないといけない状態になったことがすごくショックでした。その他にも周りの友人はボーナスをもらったと喜んだりしながら、バリバリ働いている一方で、私は手帳を開いても何も予定がない日々…。子どもと一緒にレストランに行って、席が空いているのに断られるという苦い経験もしました。

子育てに悩むのは特別な人なのだと思い込んでいましたが、そうではないと気づきました。子どもが大好きだと思っていた自分も、子育てに悩み、子どもを産んだことを心から喜べないというつらい状況に陥りました。その後、自分一人では答えを見出せないと思い、仲間を集めて子育てを楽しんでいこうと育児サークルを立ち上げました。その延長線上で、子育て世代がほしい情報を得るための情報誌を仲間とともに創刊したことが、現在の仕事につながりました。

その他にも、子育て仲間とデパートの宴会場を貸し切ってイベントをやってみたり、コンサートを企画したり、いろいろなことにチャレンジしました。一人ではできないことも、志を同じくしている人が集まれば、やれないことはないことを実感しました。


ひとり親家庭の困難さや支援の少なさを実感


ある時、育児サークルの仲間の一人がシングルマザーになったことで、育児サークルでは彼女を支えられないという大きな壁にぶつかりました。そのことがきっかけになり、これまでやってきたことを仕事にしていくことを決意。「女性が子育てをしながら自己実現をめざせる会社をつくろう」と有限会社ミューズプランニングを設立しました。

2010年に熊本県のひとり親家庭支援の事業公募がありました。私たちの会社が手を挙げるには規模が大きいものでしたが、予算がなくなったら終わってしまうような事業ではなく、地元に根づかせる事業にしたいという思いから、コンソーシアムを組んで手を挙げることにしました。その時のプレゼンテーションは人生で一番緊張した時間だったと記憶しています。10社以上のエントリーがあった中で受託することができ、ひとり親家庭の在宅における自立支援を2年間実施しました。

ひとり親家庭に寄り添う中で、予想以上の困難さや支援の少なさを実感し、心が折れそうなことが何度もありましたが、その後もひとり親家庭を支援していきたいと強く思いました。ちょうど事業が終わる年に、今度は熊本市の男女共同参画センターの指定管理者の公募があり、それまでの経験を踏まえて今度は公の立場で、男女共同参画の推進という役割を担うことになりました。指定管理者としての仕事の中で、子育てをしながら自分がぶつかってきた壁、例えば「●●ちゃんのママ」としか呼ばれないことや、働いている時に「どうせ奥さんのお小遣い稼ぎでしょ」と言われたりしたことなどは、すべてジェンダーの問題に結びつくこともわかりました。熊本市と熊本県の男女共同参画推進というやりがいも責任も大きい事業に、通算11年間にわたってかかわれたことは、本当にラッキーだったと思います。


熊本地震の被災地でひとり親家庭支援の拠点をつくり、細やかな支援を届けたい


活動を続ける中で大きな転機になったのが、2016年の熊本地震でした。地震の後、被災地の男女共同参画センターとして何から手をつけようかと焦りました。そんな時に全国のセンターからの声かけがあり、まずは性被害の防止啓発に取り組むことにしました。東北や中越など、過去の災害経験に基づいた助言や、近隣県からの迅速な物資の提供など、緊急時には特に女性のつながりが必要なことを実感しました。それは性被害や虐待の増加など、災害支援の現場に女性の視点が活かされていないことによる課題が予想以上に大きいとわかったからです。その後の支援活動で熊本市の避難所を回っていた時に「熊本の女性はつながっていない。今回の地震のようなことがあると、自分たち弱い者にしわ寄せがくる。自分にはたった一つの荷物しかなくて帰る場所もない」と、高齢の女性に声をかけられたことも忘れられない出来事でした。どんな時にも支え合うことのできる、女性のゆるやかなネットワークをつくっていくことが、これから私たちに必要なことだと思いました。

熊本地震では、それぞれの地域で被災状況に大きな差がありました。被害が一番ひどかった益城町のひとり親の支援を細々と続ける中で、公的な支援も大事だけれど、それだけでは足りないことを感じてきました。そこに追い打ちをかけたのが、2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大です。ここでも食材の配布などの支援を行いましたが、会社の社会貢献的な取り組みでは場当たり的な支援で終わってしまっている感が否めませんでした。一方、ひとり親家庭の経済的な困窮や、女性や子どもの自殺、虐待件数の増加などの問題が報告される中で、特に地震からの復興半ばの益城町では細やかな支援までは行きついておらず、このままでは間に合わない…と思うようになりました。

そこにちょうど自分たちの会社の創業25周年という節目も重なり、このタイミングで踏み込んだ支援をしていこうと覚悟を決め、一般社団法人ウィメンズ・フォーラムくまもとという新たな組織を設立しました。その中で取り組む「シェアステーション」は、私たちが初めてひとり親家庭の支援に取り組んだ2012年に描いた企画で、「時間」と「気持ち」の受け皿を持った包括的な支援拠点のことを指します。当時は力及ばず、実現することはできませんでしたが、私にとってはあきらめきれずに抱き続けてきた夢のプランです。今度こそ悔いの残らぬよう、微力ながらみんなと一緒に踏ん張りたいと思います。そして、一人でも多くの女性や子どもたちの笑顔をつないでいくことが、私たちの願いです。


取材者の感想


育児サークルの活動には、熊本県内3,000人のママが参加していたそうです。当時は携帯やスマホもなく、郵便でのやり取り。困っている当事者の思いがあるからこそつながっていき、同じ思いの人が集まるとできないことはないことを実感した体験だったと語られていました。

インタビューで印象的だったのは、藤井さんがご自身の弱い部分やつらかったことを隠すことなく話されていたことでした。会社設立当初、経験がまったくなく経営する中で、当時の仕事の発注者から受話器を投げつけられたこともあるし、売れ残った在庫を抱えてトボトボ帰ったこともあったそうです。

被災地という場所だからこそ、弱さやつらさを一緒に共有でき、安心できる人も多くいらっしゃるのかもしれません。熊本地震で最も大きな地震があった益城町からモデルをつくることに大きな意味があるように感じました。これからもずっとずっと「お世話好き」な藤井さんでいてほしいなと思いました。


藤井宥貴子さん:プロフィール


一般社団法人ウィメンズ・フォーラムくまもと 代表理事/有限会社ミューズプランニング 代表取締役社長

熊本市私立幼稚園勤務を経て、自らの育児体験を通して育児サークルを発足。1997年に「女性が子育てをしながら自己実現をめざせる会社をつくる」という希望を抱き、企画・編集を主たる業務とするミューズプランニングを創業。

2010年にITを活用したひとり親家庭の自立支援事業を熊本県から受託したことを機に、「女性や子どもの笑顔につながる仕事をしていこう」という思いが強まり、行政の指定管理者などにチャレンジ。以後、熊本市(2012年~2017年)や熊本県(2017年~2023年)の男女共同参画センター(指定管理/いずれも館長)、熊本市のファミリーサポートセンター(委託・2013年~現在/センター長)など公的な事業に取り組む。熊本地震後は、熊本県ひとり親家庭福祉協議会の会長(2017年6月~)に就き、支援拠点の再建と組織の再編に取り組んだ。

2023年春から公的な役割を退いて自社業務に専念し、シェアステーションの実現をめざして奮闘中。夕方の学習支援時に子どもたちのためにおむすびを握る瞬間が、今一番のしあわせを感じる時。




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